北白川の子安観世音
こんばんは。
京つうスタッフのもーちゃんです。
9月も半ばになろうとしています。先週は残暑が厳しかったのに、今週は朝晩がめっきり過ごしやすくなりました。
さて、9月のテーマは
「京都のキャラ(仏像・銅像を含む)!」です。
というわけで、北白川在住のもーちゃんが取り上げるのはやはりこの方です。
今出川通りから志賀越え道に入るところにででーんと奉られている大きな地蔵さん。ずっと地蔵さんだと思っていたのですが、実は観音さんです。正式な名前は
「子安観世音」です。
鎌倉時代中期に作られたというので、700年もの間、風雪に耐えてきました。顔の凹凸はかなり薄くなっていますが、なんとなく怒っているような、どことなく泣いているような表情をしています。
その表情から生まれた伝説なのでしょうか、豊臣秀吉に気にいられ、聚楽第に運ばれた子安観世音は夜な夜な「白川に戻せ」とうなり声をあげ、元の場所に戻されたという話が残っています。
並びに、小さなお地蔵さんをいくつも集めた祠があります。
このお地蔵さんは昔、白川が現在の今出川通りに沿うように鴨川に流れ込んでいたこんでいた名残で、今出川通りを造成しているときに地中から何体ものお地蔵さんが出てきたものだそうです(白川が増水したときに、川沿いの街道にあった地蔵が流されたもののようです)。
同じような由来を持ったお地蔵さんは京都大学の農学部内にも奉られています。
こちらのお地蔵さんは農学部を作るときに掘り出され、しばらく放置されていたのですが、工事関係者の事故が続いたので、祠を建て奉られたそうです。
この辺りの事情は「地蔵盆」のときに地元のひとから聞いた話です。また北白川小学校の児童が古老にきいた話を集めた
「北白川こども風土記」(1959年に出版)という本に詳しく載っています。
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